これまでの道のり

1956年5月 

神奈川県横須賀市に生まれる。その後、藤沢市、新宿区市ヶ谷、小平市と転々とし、横浜市戸塚区に落ちつく。根っからの(先祖代々の)関東人である。

1975年4月

大学に現役で合格。思えばこのころが花であったか------。最初は生物学を志望するつもりであったが、ひょんなことから理学部地学科地理学課程に進むことになった。あまり先のことを考えていなかったように(今から見ると)思う。

1979年4月

大学院に進学。そのまま、修士2年、博士3年、奨励研究員1年、大学院研究生2年、特別研究員2年と、なんと合計10年間も大学院生室にいつくことになろうとは誰が予想しただろうか。こんなに頻繁に肩書きが変わったため、履歴書を書くと市販の用紙では枠が足りず苦労するようになった。他の人の倍も在籍したため、(今から思うと)貴重な経験も多かった。ちなみに、現在進めている研究のほとんどは、この間に始めた、または始めようとしたテーマである。

教室の伝統で、ほとんど全くと言って良いほど教官からの指導がなかったため、最初の数年は何を研究したらよいかわからなかった。博士1年から古環境復元に関する研究を始めた。手に芸を持とうと思い、珪藻分析という手法を修得したが、これが意外とうまく行き、研究も軌道に乗って、論文数が急激に増えていった。自分で言うのも何だか、このころは寝食を忘れて研究していたように思う。南は九州から北は北海道まで文字通り飛び回った。

いわゆるオーバードクター時代は、私学の夜間部の学生への講義(非常勤)、通信制の学生の指導(通信添削)をしながら乗り切った。教室の後ろが霞んで見えないような(学生のタバコの煙が充満しているため)教室で、眠りこけている、またはおしゃべりに夢中の300人近い学生を前に、講義を続ける技術を習得したのもこの時期である。面白いと好評であった。

1989年4月

九州大学教養部に就職する。何が一番うれしかったかというと、この結果、約400万円余にも達する日本育英会の奨学金が返還免除になったこと。まさに、期限ぎりぎりであった。それまでの就職に関わる苦労を知っている人からは、努力すればいつかは報われることがあると言われていたそうだ(本当かどうかは知らないが)。32才で伝説の人物となってしまった。

九大に赴任してのひとこと「講義中に学生がだれもおしゃべりをしていないのが信じられない!!!」

1990年8月

初めて海外渡航をする。サンフランシスコで国際学会に参加してから、オレゴンで約一ヶ月、塩性泥炭地の調査に参加した。当時、交際中であった妻に毎日葉書を送っていた。絵はがきの選び方と郵便局の探し方(これが意外と難しい)がうまくなった。

その後、平均年2回のペースでの海外渡航が続いている。英語は正直言って得意な方ではなかったため、30才過ぎてから苦労することになった。現在も英語は苦手であるが、へたなりに、自分の研究成果を理解してもらうための技術は上達したように思う。

1991年5月

結婚する。このころは教養部廃止を前にして、学内の人間関係などで結構大変な時期であった。外部出身者であり、学内の情報に疎い方であったため、いつも口に出せぬ(出していた?)苦労をさせられた。

1991年8月

初めてトルコに調査に行く。出張と新婚旅行を兼ねていた。イスラム、半乾燥気候など日本にない景観が好きになった。何となくウマがあってしまい、その後、毎年のように調査を続けている。ひげをはやしだしたのもこのトルコの調査からだ。35才になってから、はじめて、個性的な人と言われるようになった(「でもいい人ね」とも言われていた)。

自分の研究に特色を持たせるため、海外及び日本における野外調査を大事にしている。

海外では、トルコのほかにマレーシアのマングローブで調査を行った。

1994年4月

九州大学教養部の廃止に伴い、理学部に配置換えになる。六本松キャンパスと箱崎キャンパスを往復する毎日を、現在まで続けている。教養部から理学部になって一番変わったことは、日常的に学生とかなり密に接するようになったことである。それまでは、多数の学生を講義の時間だけ相手するだけだったので、ギャップが大きかった。

六本松での講義・負担は以前とは変わらないため、改組に伴って、2倍忙しくなった(様な気がする)。箱崎と六本松とで両方から給料をもらえればよいのにと、家庭ではいつも話している。

1995年7月

北海道における調査を10年ぶりに再開する。地元の厚岸町の援助もあり、その後、毎年調査を続けている。仕事(研究)と遊びが兼ねられていいですねと言われているようだ。

これに加えて、宍道湖、浜名湖などの、湖の調査も継続中である。

1999年4月

研究室をそれまでの六本松キャンパスから、箱崎キャンパスに移動。本館3階の眺めの用意部屋である。学生さんたちと一緒の部屋であるが、学生さんたちの協力で何とかやっている。

この年より、学生を連れての宍道湖・中海ゼミナールを始める。

2001年4月

アンカラの国際考古学シンポジウムで発表。トルコ政府の公式のシンポジウムであったので、フランスやアメリカの大使館でのパーティーに招待される。トルコ語が大分上達してきたように思える。

2003年4月

トルコでの新しい研究プロジェクトをスタート。古環境、GIS、遺跡探査を組み合わせたもの。

 

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