1環境のロングタームモニターリング(long-term monitoring)と珪藻分析

 観測や歴史文書などの及ばない、より古くまでの時代の環境変動を復元し、長期にわたる環境変化の機構を解明することを、環境のロングタームモニターリング(long-term monitoring)という。この用語は、近年、環境学者そして考古学者の間でしばしば取り上げられるようになっている。しかし、これは決して簡単なことではなく、堆積物の注意深い採取と、精密な分析によってはじめて可能となるものである。

 本稿で取り上げる珪藻分析も、このための分析手段の一つである。珪藻分析は、水環境を復元する手法であり、過去の水位、水量、水質の変動を明らかとすることができる。ここからさらに、堆積当時の降水量、蒸発散量、そして気温の変動を推定することができる。分析が比較的簡単であり、しかも大きな設備を必要としないこと、分析によって復元できる環境の範囲が広いことなどから、この10年ほどで急速に普及してきた分析手法である。

 遺跡の立地には、河川や地下水など、水利用のための土地条件が大きく関わっていたことが、容易に推測できる。このためには、遺跡立地当時の水環境を正確に復元する必要がある。この点から、珪藻分析は考古学研究に大きく関わる分析手法であるとも言えよう。しかし、珪藻分析の歴史は浅く、しかも分析のできる研究者が不足していることもあり、これまで正しい理解を考古研究者のなかにされてきたとは言いがたいことも実状である。 そこで本稿では、珪藻分析の原理・方法から、最近の研究の動向に至るまで、専門外の研究者がその概要を理解し、さらに珪藻分析のデータを自らの研究に取り込むことができる手がかりとなることを念頭にして、述べてゆきたいと思う。

2 なぜ、我々は珪藻に注目するのか

 珪藻は単細胞藻類の一つであり、その大きさは直径5200μm程度である。その表面を、電子顕微鏡や高倍率(1000倍程度)の光学顕微鏡で観察してみると、無数の細かな模様が刻まれていることがわかる。これらの模様は、珪藻の細胞を取り囲むように覆っている珪酸質(ガラス質)の殻に刻まれたものであり、その形態は種ごとに固有のものとなっている。言い換えるならば、殻の形態を見るだけで、その珪藻の種名を言い当てることができるのである。

 珪藻は、自然界の重要な第一次生産者であり、多くの動物の餌となっている。また、光合成を通して、大気中の二酸化炭素の同化に大きく寄与している。さらに、とても環境変化に敏感な生物であり、わずかな水質の変化に反応して、その群集構成を大きく変えてしまう。以上の点から、湖や河川の環境や生態系を考える上で、重要は生物指標としての役割を珪藻は占めている。しかし、珪藻にはもう一つの重要な役割が残されている。それは、その殻を湖底や海底に堆積させ、厚い珪藻土を形成することである。

 珪藻土は、日本でも、日本海側地域を中心に多く分布し、重要な地下資源として採掘が行われている。また、顕著な珪藻土を形成するまでには至らぬまでも、湖沼堆積物、低地堆積物などには多くの珪藻殻が含まれていることが多い。遺跡発掘に際しても、谷を埋める様に堆積する地層や泥炭層からは多くの珪藻殻が観察されることが一般的である。 このような地層中に残された珪藻殻を丹念に観察することによって、堆積当時どのような珪藻種がその場所で優占していたかを復元することができる。さらに、その構成から堆積時の古環境を復元することができる。これが珪藻分析である。言い換えるならば、珪藻は地層の中に残された過去の環境を記した「古文書」としての役割を果たしているのである。

3 どのようにして珪藻分析を行えばよいのか

 珪藻分析の手順は、大きくは次の3つに区分される。

(1)堆積物中から珪藻殻を取り出し、これを顕微鏡観察のためのプレパラートに封入する。

(2)顕微鏡によって、珪藻殻の形態、構造を観察し、その種名を特定する。

(3)復元された珪藻群集の構成から、古環境を推定する。

 これらは、いずれも分析を進める上で不可欠なものである。しかし、これまでの分析マニュアルでは、(1)に重点がおかれることが多く、(2)、特に(3)については扱われないことが多かったように思える。以下、上記の手順に沿って、解説を進める。

どのようにして堆積物中から珪藻殻を取り出すか -- Simple is the best! --

 珪藻は大きさが1mmの数十分の1の大きさしかなく、肉眼で取り出すことは不可能である。そのため、まず堆積物を懸濁し、その中から珪藻殻をより分けることが必要である。この過程は堆積物の状態によって異なるが、原則は Simple is the best」、つまり簡単な処理で済ませる方が最も良いと言うことである。これはどのような処理であっても、必ずその過程で珪藻殻を破壊・選別し、本来の群集組成を変えてしまう可能性があるからである。その中で最も簡便なのがスミアスライド法である(図1)。これは、試料を無処理のままで見る方法であり、湖沼堆積物など珪藻を豊富に含んでいる試料では特に有効である。また、過酸化水素水を加えて煮沸する方法も一般的である(図2)。過酸化水素は堆積物中の有機物を分解し、その時放出される酸素の泡は堆積粒子の分散を容易にする。しかも、反応後は過酸化水素は水となるので、その後の水洗が簡単でよい。この他、塩酸などを加えて煮沸する方法もあるが、これはその後の脱酸が大変なので、お勧めできない。

どのようにして珪藻殻を観察し、その種名を同定するか --習うより慣れろ--

 珪藻には、数万種が記載されており、その種名の同定には大変な労力が伴う。また、その微細な構造までも観察するためには、光学顕微鏡または電子顕微鏡を用いて、1000倍以上で検鏡する必要がある。また、珪藻の種名を同定するためには、珪藻殻のある特定の面を見ないと分からない場合があり、これを修得するには経験を要する。

 珪藻の分類の基本については、属レベルのものを図3にまとめた。文献として全体をまとめたものは、日本語のものはまだ出版されていない(現在、東京珪藻研究所を中心として作業中である)。このため、種として外国の文献(主にドイツ語)を用いる必要がある。長い間、Husted(19301930~1959)が基本的な文献として使われてきたが、近年の電子顕微鏡の進歩により、分類体系の再検討が行われている。国際珪藻学会などの傾向としては近年、Krammer &Lange-Bertalot(1986-1991)が、淡水〜汽水珪藻の新しいスタンダートとして用いられている傾向にある。なお、沖積低地堆積物などから産出する主要な種については、鹿島(1992 )が写真付きで示してあるので、参照されたい。

 現実には、珪藻種の同定を初心者が行うことは無意味である。まず、珪藻の顕微鏡写真を撮り、それを専門家に送り、同定を依頼することが必要である。近年は顕微鏡用のビデオ装置が簡便となり、それをパソコンにつなぐことによって、簡単に画像データとすることができるようになった。これを、インターネットまたはディスクとして送付すると、フィルム現像と印画紙焼き付けを行わなくても、大量の珪藻画像を送ることができる。 どのようにして珪藻群集から古環境を復元するか --現在は過去を解く鍵である-- 通常、各試料から200個の珪藻殻を取り出し、同定を行うのが一般的である。しかし、これは堆積物の状態、珪藻の保存状態から変動させてかまわない。その結果得られた珪藻の種ごとの出現数の変動は、百分比を持って示すことが一般的である。しかし、堆積物中に顕著な珪藻殻数の変動が見られるときには、1gないしは1mgあたりの殻数の変化で示すこともあるが、珪藻の定量的な計数は極めて難しいの注意しなければいけない。

 また、堆積物中から得られた珪藻の種構成から過去の環境を推定するためには、主要な種の出現頻度に加え、全出現珪藻種をいくつかの環境種群に区分し、その種群ごとの出現頻度変化を示すことが多い。しかしこのためには、まず、現在の珪藻の分布とその環境との関係を丹念に調査し、その結果に基づいて種群分類を行う必要がある。「現在は過去を説く鍵」これが原則である。このため、珪藻分析研究を志すものは、地質学のみならず、生物学、生態学の知識が必要となる。

 珪藻の生息環境に基づく分類としては、淡水珪藻を中心とした、塩分、Ph、流速に基づく区分が古典的ではあるが、現在でもよく用いられている(表1)。このことは、珪藻が塩分変動、Ph変動、そして流速変動(河川性か又は湖沼性か)の指標として有効であることを示していよう。汽水域を中心とした珪藻群集の推移と塩分との関係についてはについては、日本においても鹿島(1986)、小杉(1988)らの研究があるが、北海道厚岸における研究例(沢井・鹿島1996、沢井・三塩、投稿中)を次章に示し、その具体的な調査のあらまし、古環境解析への応用の手順を示した。